カシミールへの道(起業物語その2) –再就職2–
私の起業物語に皆様は興味を持っていただけるのだろうかと心配していましたら、
早速、お客様から、「楽しみにしている」という感想をいただきました。
本当に有難うございました。おかげさまで続きを書いていく勇気が出てきました♪
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あえなく1年ちょっとで終わった1回目の再就職でしたが、気を取り直して、
英語の勉強を続けながら、以前のように子育てに専念しておりました。
半年ほどたって、近所に住む知人から突然仕事のお誘いを受けました。
立ち話で仕事を始めたことを話しておいたことが効を奏しました。
40歳以上になると知人の紹介が何よりも仕事に直結します。
今度はその当時、アメリカから日本に輸入が解禁されたばかりの、ワシントン州産のリンゴの
プロモーションという面白そうなお仕事でした。
業務上のパートナーはイギリス人の若い男性で、英語の勉強にもなりそうだし、
新しいPRという分野に大変魅かれました。やはり週2回くらいのお仕事ということで
抵抗なく再開できました。
アメリカ産リンゴのプロモーションは、単なるマーケティングだけでなく、
農薬規制、関税障壁という難しい問題も含んでおり、また、国内のリンゴ生産者の反対も強く、
複雑な状況にありました。
農林水産省、アメリカ大使館、太田市場、輸入業者、ワシントン州のリンゴ生産者、その他
NHKなどのマスコミとのお付き合いもあり、主婦の時代には想像すらしなかったところへ
出入りすることになりました。最後には、ラジオのDJの質問に答えて、ラジオに生出演
までしてしまいました。
その当時は、パソコンの世界でも、大きな変化があり、ウィンドウズが新発売されて、
マック以外のパソコンが普及、インターネットメールも初めて一般の会社でも使われるようになった
時代でした。
おかげで2回目の職場では、英語だけでなく、ウィンドウズの使い方、インターネットの使い方を
学び、お役所や大使館、マスコミとのお付き合いも経験しました。
だんだん仕事量も増え、週2日のはずが3日になり、4日になりましたが、子供も大きくなり、
少しずつ私が働くことになれていきました。
専業主婦の再就職後の大きな障害は、やはり、家族の不適応です。
自分だけでなく、仕事を続けていくためには家族も変わっていく必要があります。
その意味では、仕事が徐々に増えていったのは良かったと思います。
私の場合は、家事も1人で抱え込まず、人に任せられる部分は積極的に頼んでしまいました。
そんな時、友人の住田裕子弁護士に、「家事を人に頼むようになったら、本気ね。」
と言われたのが印象的でした。